「次は私が被災する順番」そう思って生活しています、職員の過半数が震災後の入庁、零下20度の避難所運営訓練、九州の自治体が救援物資の輸送をプロに委託
「次は私が被災する順番」
阪神淡路大震災の当日の朝、私は大阪のお客様への出張で、東京駅の新幹線ホームにいました。そして途方にくれていました。
いまとちがってスマホもネットもない時代、早朝に起きてテレビも見ずに東京駅に着いたら「地震で運転見合わせ」。駅員に聞いても状況がまったくわからず、運転再開の見込みもわからない。
出張は諦めて会社に戻り、初めてニュースを見て、どれだけ大事になっていたかを知ったのでした。
実は前日から行って大阪に宿泊することも考えていたのですが、忙しくて東京から離れることができず、けっきょく当日早朝の移動を選んだのです。そして私は被災を免れました。
そしてその数年後、私は間一髪の差で地下鉄サリンテロに遭わずに済みました。しかしながら、こんな幸運ばかりが続くはずがありません。次は私の番です。そう思って備えを進めています。
神戸周辺の自治体、職員の過半数が震災後の入庁
老いたものは去り若いものが後を継ぐ。健全な社会であればそうなります。ただし風化させてはいけない思い、経験を残し続ける仕組みも必要です。
22年という年月がもたらす必然の経過とはいえ、教訓の継承と危機管理意識の維持が、これまで以上に課題となっている。
零下20度の避難所運営訓練
真冬のコンクリートの床上で、夏用の寝袋で寝るというセルフ訓練をやってみたことがあります。当時借りていたオフィス替わりの個室でやりました。もちろん暖房は停めました。
相当厚着をしたにもかかわらず寒くて寒くて何をしてもダメ。「なるほどこの装備ではまったく無理、このままでは凍死する(当たり前だ)」との結論にいたりました。
最後の手段である「深夜営業の居酒屋への避難」のまえに、物は試しと思い、古新聞で頭の天辺からつま先までくるんで、ダンボールの上で寝てみました。
暖かい!イケるんですこれが。ダンボールの敷物+夏用の寝袋+古新聞紙(とガムテープ)+冬物厚着でちゃんとコンクリートの上でも眠れました。しかしこれは室温が10度前後の話。
室外の気温が零下20度となると、まったく異なる環境です。
やってみてどうだったのでしょうか?
やはり寒くて眠れないようですね。このような検証は非常に重要です。何でもやってみないと課題は見つからないものです。
九州の自治体が救援物資の輸送をプロに委託
餅は餅屋!