災害対策本部の仕事

さまざまなインシデントや危機に対応するための方法を書いていきます。

遺跡とお寺の記録が京都の地震を語る、古くからの土地が残る京都で「地震考古学」、平成30年史−大震災の時代(1)(2)(3)、本日のおまけ

ちょっと珍しい、京都からの地震の話題を2つお届けします。

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(画像:京都新聞様よりリンク、地震後の墳砂の筋、液状化の跡も)

遺跡とお寺の記録が京都の地震を語る

その昔、お寺のお坊さんという職種は、今の言葉で言えば「インテリ」でした。

読み書きができるだけでなく、東洋哲学の知識まで修めています。

現代であれば、学者と言ってもいいかもしれません。

 

京都で地震など災害の記録が多いのは、そういう理由もあるそうです。

貴族や僧侶が多かった京都では地震の記録がよく残る。鴨長明は随筆「方丈記」で1185年の元暦地震の京都の惨状を実際に目の当たりにした様子をリポートし、「都のほとりには、在在所所、堂舎塔廟、一つとして全(また)からず。或(あるい)はくづれ、或はたふれぬ。塵灰(ちりはい)立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家のやぶるる音、雷にことならず」と記した。

「いつ発生しても…」京都の地震と被害、遺跡や記録が語る : 京都新聞

 

 

古くからの土地が残る京都で「地震考古学」

京都のもうひとつの特徴は、東京と違って古い地層が比較的手付かずで残っているということです。その大地には災害の痕跡が数多く残っています。

それらの痕跡を探索して、現代の私達に教訓を伝えるための学問が確立されています。

地震考古学と呼ばれています。

地震考古学は、発掘調査での地震の痕跡と文献を照らし合わせて発生年代を推定する。地中の液状化やずれ、分布から分かるかつての地震の規模や被害、範囲を防災の参考にする学問分野で、国内最大級の公的研究機関、産業技術総合研究所(東京本部、つくば本部)で地震を研究してきた寒川旭氏が確立した。 

「地震考古学」大地の痕跡、防災に生かす : 京都新聞

 

地震考古学を拓いた寒川旭先生の本をご紹介しておきます。

これは歴史書です。淡々と地震の歴史が綴られています。お手元に1冊どうぞ。

大きな地震があるたびに紐解いて、その地の地震史を確認できます。

 

 

 平成30年史−大震災の時代(1)(2)(3)

産経新聞が渾身の特集記事を書いています。ちょっとご紹介が遅れましたが、今週から連載が始まっています。ご一読をお薦めします。

 市内を流れる旧北上川沿いに「巻石」と呼ばれる岩がある。

 

 縦3メートル、横1メートル。水がぶつかると渦を巻くことから名付けられた。石巻の地名の由来といわれる。

 〈水位が巻石より上がると津波が来る〉

 そう言い伝えられている。予兆を知らせて避難を促す。守り神として神格化されている。

 巻石は水の底に沈んでいた。がれきが覆いかぶさっている。

 神がやられた。

 あの時も。

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その日の朝、午前6時4分に国土庁のファクスが鳴った。紙には関西地方で大きな地震が起きたことが記されていた。職員の宿直体制はとられておらず、ファクスに気づいたのは警備員だった。

 機転をきかせた警備員が職員の自宅に連絡したのは午前6時7分。後に阪神・淡路大震災と名付けられる大災害の発生から、21分が経過していた。政府の自然災害担当省庁とされていた国土庁の実態-。平成7年1月17日の日本には、危機管理体制はないに等しかった。 

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 建設の参考にした岩手県宮古市田老地区の巨大防潮堤は、6年前の東日本大震災であっけなく津波に敗れた。景観を犠牲にした防潮堤は、われわれを守ってくれるのか。復興段階で集落の集約化を進めるべきだったのではないか-。そんな声もささやかれる。 

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 本日のおまけ

アイスランドで撮影されたオーロラのタイムラプスです。

美しい映像でなごんでいただければ幸いです。